金稼ぎからの自由?副業でインターネット集客ネットワークビジネス
世の中、「いかにしてお金を稼ぐか」という話には多くの人の関心が集まります。
それだけ、お金のことで色々と考えている人が多い、ということです。
老後の資金に二千万円が必要、と聞いて、資金を稼ぐために副業や投資を始める人も多いと思います。
老若男女を問わず、お金は、あればあるほど困りません。
かく言う筆者も、日々考えていることは、ある意味では、お金を稼ぐことにつきます。
このブログも、掲載している記事のテーマのほとんどすべてが、言ってしまえば「あるお金の稼ぎ方」の追求です。
私たちにとって、お金は、生活の中心であり、私たちの価値観に大きな影響を及ぼしていることは間違いありません。
私たちは、資本主義を前提にしたお金のゲーム盤の上に既に乗っていて、これを完全に無視して生きるわけにはいかない、ということです。
私たちは、なぜお金を稼ぎたがるのでしょうか?
人によって、理由は色々とあるでしょうが、それは、突き詰めるなら、本来は「幸せになるため」であるはずです。
お金を稼いで不幸になると信じているなら、人はお金を稼ごうなんてしませんものね。
もし、「お金なんか要らないから、誰かにあげるよ」と言う人がいたら、ぜひ申し出て下さい。
あまりそういうことは人前で言いふらさない方がいいと思います。
まず、真っ先に筆者にだけこっそりと打ち明けていただきたいのです(笑)
産業革命よりもはるか昔から、人は、仕事の生産性を上げたり、自己の市場価値を高めたりすることに余念がありません。
すべては、幸せになるため、お金を稼ぐためでした。
でも、本当にお金を稼いだら幸せになれるのか?
そんなことを考える暇は、歴史上、あまりなかったと思います。
ところが、昨今は、お金儲けはそろそろ時代遅れになるのではないか、という話も聞きます。
筆者も、今、MLM(ネットワークビジネス)のご縁で面白いビジネス環境に出会い、色々と語らい合ううちに、そう確信するに至っているところです。
このブログのテーマでもあるインターネット(オンライン)集客ネットMLM(ネットワークビジネス)を学ぶ身としても、一度、「お金を稼ぐ」という価値観の枠の外に出て自由になってみると、その魅力やポテンシャルが改めて冷静に見えるようになり、納得することも多いのです。
この記事では、そんな金稼ぎを超えた切り口から、インターネット(オンライン)集客MLM(ネットワークビジネス)がなぜお勧めなのか、について掘り下げてみたいと思います。
Contents
お金は人を不幸にする?
お金は人類最大の発明とも言われています。
例えば、ヨーロッパでは、中世、道具や技術の発達で農業の生産性が飛躍的に上がり、商業が盛んになった時期があります。
その頃、荘園にもお金が浸透し始め、労働者である農奴の納税の手段も作物から貨幣に変わっていきました。
こうなると、彼らにも貯金をする機会がやってきます。
それまでは、蓄えといっても、畑で採れた野菜の余りを家に持って帰って大切に肌身離さず持っている、というくらいだったはずです。
大根を大事に壺にしまっていても、それらはせいぜい漬物にしかなりません。
それが、労働の対価としてもらえるものが貨幣になったことで、何が変わったか?
給料として得たコインを壺にチャリンチャリンと投げ入れる楽しみが出てくるようになりました。
そうやって、農奴の中には、コツコツとお金を貯めて荘園から独立し、自らを労働者の身分から解放して自由を手に入れる者も現れるようになっていきます。
こうしてみると、お金は、人生のチャンスを提供してくれる画期的な発明のようにも見えます。
さて、このお金が生まれたことによって私たちが得られるようになった恩恵は何でしょう?
以下に、三つあげておきます。
お金の3つの恩恵
1.様々な価値が交換可能になった
2.価値を保存できるようになった
3.価値の尺度が担保されるようになった
もし、お金がなかったらどうなるか?
デパートに行って買い物をしようとしたら、家畜の豚や牛を持っていって、売り手と買い手と互いに納得のいくまで交渉して、物々交換をする必要があります。
貯金もできません。
お金という共通の価値の尺度があるからこそ、手続きの利便性、公平性が担保され、富も蓄えられるようになり、経済は成長し、サービスは発展していくことができたわけです。
お金は、言わば、価値や権利を抽象化し、単純化して形にしたものです。
つまり、お金こそは、社会の信用の象徴である、と言えます。
でも、お金の価値観が社会に及ぼす影響は、いいことばかりでもありません。
お金には副作用もあります。
どんな副作用があるでしょう?
お金の副作用1 : 富への執着、比較が生まれる
お金によって価値が目に見えてわかりやすい大きさを持つようになると、お金の大きさによって、価値の比較が簡単にできるようになります。
こうなると、人は、自分と他人とをお金の大きさで比較するようになってしまいます。
自分は、毎日、昼食には百三十五円のカップラーメンを食べているが、あの人は、毎日、昼食にレストランで三千円のランチを食べている。
自分は、駅から遠くにある古いアパートに家賃三万五千円で住んでいるが、あの人は、駅から徒歩五分のマンションに家賃三十万円で住んでいる。
自分は自分、人は人、比べても仕方がない、ということはよく言われます。
ところが、一方で、私たちが生きる日常は既に無数の取引のルールの上に成り立っていることも事実であり、その取引の背景には例外なく経済的価値観がつきまといます。
毎日お金のことを気にするなという方が無茶だ、とも言えるわけです。
お金のことが気になると、どうも、居心地が落ち着かない。
ちょっと稼いでみると、今度は、もっと稼いでいる人が気になってくる。
何となくいつまでも安心できない。
「もっとお金が欲しい」
「稼ぎたい」
こうして、お金に対する執着心が生まれます。
資本主義というのは、ある意味、喉が渇き続けるゲームであるとも言えます。
お金の副作用2 : 価値の本質を見失ってしまう
お金によって価値が目に見えてわかりやすい大きさを持つようになると、お金の大きさでつかまえきれないたくさんの価値観がこぼれて見失われてしまいます。
例えば、物心ついたばかりの頃の子供であれば、近所の公園に連れていってもらって遊ぶのとディズニーランドに連れていってもらって遊ぶのとでいちいち楽しさを比較して想像したりしないものです。
ところが、小学生にもなれば、ディズニーランドに連れていってもらう、というのはちょっとかねての休日とは違う特別な時間の過ごし方であることを理解できるようになります。
実際、ディズニーランドは、初めて訪れたなら、珍しいアトラクションに溢れていて楽しいかもしれません。
ところが、幼児は、生活圏の範囲の日常とそれ以外の非日常といったことを明確に意識したりしないものです。
「楽しさとは何か?」、というのは、本来、自発の感情であり、体感であり、想像の世界の中にだけ隠れているわけではありません。
こうしてみると、直接お金の支払いの場面などあまり出てこない子供の世界の中にも、既に早くも大人のお金の価値観は複雑に入り込んできていることが想像できるのではないでしょうか?
このふたつの副作用のことを踏まえた上で、ある国に伝わる笑い話を紹介しておきます。
アメリカ人のビジネスマンが、昼寝をしていたある土地の人を見てこう言いました。
アメリカ人「お前は、どうして仕事もせずにそうやって寝てばかりいるんだ?もっと働いたらどうだ?」
現地人「働いてどうするんだ?」
アメリカ人「決まっている。働いて金を稼ぐのさ」
現地人「金を稼いでどうする?」
アメリカ人「金を稼いだら、庭とプールのある大きな家でも買うさ」
現地人「家を買ってどうする?」
アメリカ人「休日には家の庭で昼寝でもして、ゆっくり過ごすよ」
現地人「そうか。俺は、もう、既にそうしている」
現代の所得層の傾向
私たちは、先進国や発展途上国、上流階級や中流階級といった言葉をよく使います。
いずれも、人々の所得が関係している言葉ですが、近年、こうした言葉でくくりきれない現実を示唆するデータも出てきています。
貧困層の減少
世界で二百万部の大ベストセラーとなっている「FACTFULNESS(ファクトフルネス)」という本によると、この二十年間で世界で極度の貧困の生活を強いられている人の数は半分にまで減ってきている、ということが書かれています。
Amazon : 『FACT FULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』
本書では、特に、所得の階層を四つのレベルに分類することで、世界の国を先進国と発展途上国とのたったふたつに分ける見方では見えてこない、人々の生活の質の変化を読み取ることの重要性が指摘されています。
レベル1(極度の貧困、一日1ドルの生活) : 十億人
薪で火をくべて調理をする、など
レベル2(一日4ドルの生活) : 三十億人
電気の明かりのもとで勉強ができる、など
レベル3(一日16ドルの生活) : 二十億人
バイクや冷蔵庫が使える、など
レベル4(一日32ドルの生活) : 十億人
車を買ったり、外食をしたりすることができる、など
この本は、客観的なデータから、世界中で今全体として所得の底上げが起きていることの様子を伝えてくれています。
では、格差そのものがなくなっているか、というと、どうやら部分的にはそうでもなさそうなのです。
一部の上流と中流以下の二極化
毎年国税庁が発表している民間給与実態統計調査結果の直近のデータ(平成30年)によると、一年を通じて勤務した日本の給与所得者 5,026 万人のうち、300万円超400万円以下の人が867 万人(構成比 17.2%)で最も多く、次いで200万円超300万円以下の人が762万人(同15.2%)となっているそうです。
また、ここ数年のデータを見ると、年収が一千万円以上の人の数も微増していっていることがわかります。
国税庁ホームページ : 民間給与実態統計調査結果
https://www.nta.go.jp/publication/statistics/kokuzeicho/minkan2018/minkan.htm
こうしたデータからは、上流と中流以下とがはっきり二極化し始めている、ということが見えてきます。
正規雇用者と契約社員、派遣社員などの非正規雇用者との給与格差なども、原因のひとつとしてあげられるでしょう。
こんな話も聞きます。
仮に、四百万円超の所得層を中流階級と位置づけるなら、今後は中流階級というのは消滅する方向に向かうとのことだそうです。
この中流階級の消滅は、日本だけでなく世界でも同じ傾向があるようです。
成功願望から既に自由な現代っ子
最近は、家が欲しい、車が欲しい、という若者はいない、と言います。
また、近頃は社会での出世欲の薄い人も多い、ということもよく聞きます。
物がないことによる生活の不便、学校や隣近所同士の極端な見た目の格差を意識する場面が少ない人が多く育ってきていることも、一因としてあるのではないかと思います。
一方で、冒頭にも書きましたが、副業が盛んに注目される時代です。
今の生活を続けながらさらにもっとお金を稼ぐことに興味がある人は少なくないわけです。
では、現代っ子のお金稼ぎのきっかけは何でしょうか?
物が欲しい、成功したい、承認欲求を満たしたい、そうしたことがお金稼ぎの動機になることはどうやら昔ほど多くはなさそうです。
これを読む中にも、人々の称賛や上流階級の生活への憧れなどまったくない、という人も結構多いのではないでしょうか?
どちらかというと、生活のために働き、もう少し楽がしたい、自由な時間が欲しい、そんな話に共感する人が多いかもしれません。
最近では、自分と同じようなライフスタイルを持ちながらちょっとした日常を楽しんでいる、そんな姿に共感し、夢を感じることのできる若者もまた多くなってきています。
今、ユーチューバー(YouTuber)として活躍するヒカキンは、ユーチューブ(YouTube)チャンネル「HIKAKIN」に投稿していた「ヒューマンビートボックス」と呼ばれる動画が世界的な注目を集め、絶大な人気を誇っていますが、彼は、もともとスーパーの店員として生計を立てるかたわら動画を投稿していた人です。
こうした人が活躍し、また、同時に、こうした人に共感する人が増えてきています。
現代っ子は、いい意味でも悪い意味でも、「渇いていない」ということが言えそうです。
「稼ぐこと」が目的でない新しい時代の到来
今は「稼ごうとしない人」が稼げる時代、そんなことも言われます。
例えば、GoogleやFacebookなどがいい例で、これがあったら面白いんじゃないかと思って始めたことが、たまたま世の中に広がって大きなビジネスになっています。
一方で、システムやノウハウそのものは必勝法として成り立ちにくくなってきていることも特徴的です。
今、日本は、キャッシュレス決済の戦国時代とも言われます。
中国で爆発的な成長をとげたQRコードによるキャッシュレス決済市場は、日本でも流行ると期待されていました。
2016年からスタートし注目されていたオリガミペイは、メルカリに買収され、サービスは2020年6月末で終了となります。
ソフトバンクが始めたキャッシュレス事業PayPayが、その資本力を武器に50%還元キャンペーンをし、あおりを受けたオリガミペイも還元キャンペーンをする間に赤字が膨らみ、ついには、タダ同然でメルカリに買収されてしまった、などと話題になっています。
最初に何か始めても、資金力がなければ、後続で参入した大企業に、消耗戦や事業規模の面で勝てず、結果的に市場を撤退するか、あるいは、会社(企業)を買収されてしまう、ということが起きています。
今、従来型の資本主義のレールで勝負する世界では、倒産や従業員のリストラの話を耳にすることは度々あります。
逆に、情報化が進み、従来型の「お金を稼ぐこと」の軸から自由になっている人々がビジネスで成功している例が顕著になってきています。
ビジネスの成功の秘訣の重心は、いまや、方法論へのこだわりからコンテンツへの共感へと移り始めていることが見えてきます。
大切なのはお金の大きさ?それとも、自由?
これを読むあなたは、今の仕事を好きでやっていらっしゃいますか?
もし、そうでない、というなら、例えば、そんなあなたは退職して他に何か始めてみた方がいい、と気軽に言えるでしょうか?
サラリーマンや主婦の中には、「仕事は大変だけれど生活があるからね」、「ローンがあるし子供の学費もかかるからこの生活を続けるしかないよ」、「家族の生活を支えなくちゃいけないからね」と我慢をして、仕事に通い続けている人も多いと思います。
そのような人にとって、お金稼ぎは、まず、生活を支える手段として、避けられないものとして存在するはずです。
筆者もそうです。
今の仕事は嫌いではないし、収入もそれなりにいただけます。
でも、楽ではないことも確かです。
普段は、毎日一時間かけて通勤しています。
帰りの時間も合わせると、毎日二時間、年間で延べ四百八十時間を通勤に費やしています。
そう考えると、会社(企業)に勤めている人の多くは、一日のうち十時間以上を「仕事」のために拘束されている、と言えます。
このまま運よく通勤する会社(企業)が存続すればまだいいですが、ある日、いきなり倒産、なんてことになる可能性もゼロとは言い切れません。
そうなったら、また一から仕事を探すことにもなります。
筆者はまだ若いのであまり真剣には考えていませんが、体が健康なうちに何かできることがあればやっておきたい、という気持ちもあります。
目指すのは、時間的にも経済的にもゆとりをもって楽しいことをしながら生きる人生です。
これを読むあなたはどうでしょう?
もし、あなたも、できることなら今の人生を変えたい、ゆとりある豊かな暮らしを手に入れたい、と思っているとしたなら、考えるべきは何でしょう?
そのきっかけはどこに探せばいいでしょう?
探すべきは、今の所得を二倍に増やす方法でしょうか?
三倍に増やす方法でしょうか?
そうではないはずです。
真剣に考えるべきは、「お金の大きさ」ではなく、まずは、義務的な労働の日々からの解放の可能性ではないでしょうか?
いずれ年金生活がやってくるのをじっと待つのもいいかもしれません。
でも、「将来の年金だけでは心もとない」、「もっと早く自由が欲しい」、という人は多いはずです。
筆者もそうです。
そんな時、筆者は今のこのブログとビジネス環境に出会いました。
そして、今、その目標に向かって着々と成果が出ています。
このブログでは、労働からの解放を目指す人たちに、最もリスクのない現実的で手堅い手段として、転職でも、起業でもなく、副業を勧めてくれています。
しかも、それは、成功や金儲けのための金稼ぎではなく、暮らしの在り方を変えるための、言ってみれば、「お金から自由になるための金稼ぎ」です。
ごく普通の人に何ができるか?
さて、特技を持っている、あるいは、もともと関心のある分野がある、という人は、それを生かして何か始めてみるのもいいと思います。
そういう人は、将来的には独立する、という選択肢もあると思います。
そのひとつに、フリーランスの道があります。
主にクライアントの下請けをこなしながら報酬を得る稼ぎ方のことです。
もうひとつは、単なる独立ではなく、起業する、という道です。
こちらは、業務提供とは意味が異なり、自分でビジネスの仕組みを一から作り出し、人を巻き込んで利益を生み出していく稼ぎ方です。
先にも触れましたが、近頃多いのが、やっていることがいつの間にかビジネスになっていた、というケースや、趣味が勝手に利益を生んでビジネス化していた、というケースです。
こうしたチャンスは、情報化が進んでいる今、思わぬところに転がっていたりします。
特技を生かしたり、興味のあるものを追いかけたりするのは、努力が苦にならず、楽しいものです。
今、労働を義務だと感じる人は、特に、まずは自分の気持ちや感性をおろそかにせず考えてみることが大切である、と筆者のビジネス環境では提案してくれています。
そうでなければ、金の稼ぎ方の形をいくら変えてみたところで、そこでやる何かは、単に表面を衣替えしただけの新しい労働の苦しみになることには変わりないからです。
また、そもそも何か特別なスキルも持たなければ、特別に興味がある分野もない、なんて人も多いと思います。
特技を生かしたり、好きなことをやってみたりするだけでは必ずしもお金に結び付く保証があるとは言えませんし、何もしないままでは人生を変えるきっかけがやってくることもありません。
となると、まずは、ごく普通のサラリーマンや主婦が誰でも自然と無理なく参加できる資産構築の道をどこまでも単純化して突き詰めて考えてみるべきです。
その最も現実的な手段として、このブログでは、インターネット(オンライン)集客MLM(ネットワークビジネス)を勧めています。
インターネット(オンライン)集客MLM(ネットワークビジネス)のすすめ
MLM(ネットワークビジネス)というのは、製品やサービスのユーザーになることとそれらの広告塔になることとを同時に引き受けて、流通の輪を広げて報酬を得るビジネスのことです。
扱う製品の代表的なものとして、化粧品やサプリメントなどがあります。
インターネット(オンライン)集客MLM(ネットワークビジネス)というのは、そのMLM(ネットワークビジネス)の流通を、インターネット(オンライン)を活用した広告戦略で展開していくやり方です。
誰にでもチャンスのある資産構築の道
なぜ、MLM(ネットワークビジネス)がいいのかというと、特別な才能も大きな資金も社会的な信用も持たないごく普通の人が資産構築を目指すのにかなり現実的だからです。
自分と直接繋がりのないところで流通の連鎖がどんどん繰り広げられていくことで、このMLM(ネットワークビジネス)というのは安定した収入に繋がっていきやすいのです。
MLM(ネットワークビジネス)の展開方法は、従来は製品やサービスを口コミで広めていくやり方でした。
伝える内容は、本来、会社(企業)や製品の素晴らしさについてです。
ただ、これには、勧誘活動を行うひとりひとりのとても高い営業スキルが求められます。
したがって、MLM(ネットワークビジネス)には、一般の宣伝広告の技法とは異なる独特の勧誘のノウハウが存在しています。
ところが、今、MLM(ネットワークビジネス)は、インターネットやSNSの普及により、従来とはまったく異なる口コミを介さないビジネスに生まれ変わろうとしています。
インターネット(オンライン)集客MLM(ネットワークビジネス)の最も大きな特徴としては、広告による集客が可能になったことにより、口コミの必要がなくなった点、そして勧誘やコミュニケーションで特定の場所に出かける必要がなくなった点があげられます。
また、集客手段の変化により、MLM(ネットワークビジネス)は、単なる会社(企業)のブランドやビジネスプラン、経済的成功への興味の枠を超えて、人のライフスタイルや考え方をビジネスモデルとして呼びかけるコンテンツマーケティングの性質の比重が大きくなってきている点も特徴です。
お金を生み出す手段として手堅いMLM(ネットワークビジネス)の仕組みをベースに、情報発信に柔軟なコンセプトを持ち込んで草の根の活動で展開していくこのインターネット(オンライン)集客MLM(ネットワークビジネス)は、副業やビジネスの初心者、あるいは様々な分野で活動している人が資産構築を目指す上でとても乗っかりやすい現実的なビジネスモデルです。
かけがえのない出会いと絆
また、インターネット(オンライン)集客MLM(ネットワークビジネス)は、お金の大きさで価値をはかることのできないかけがえのない資産を生み出します。
それは、人です。
インターネット(オンライン)集客MLM(ネットワークビジネス)で出会うのは、基本的に、「ゆとりある豊かな暮らし」に共感する仲間です。
インターネット(オンライン)上で出会う彼らは、それぞれ離れた場所に住む者同士ですが、それは、つまり、あなたの日常や世間とは一線を画すしがらみのない人たちであるとも言えます。
インターネット(オンライン)集客MLM(ネットワークビジネス)では、互いに自由な生き方を実現しようと同じ目的に向かう仲間が集まることから、こうした彼らはあなたの生き方を応援してくれる仲間になってくれやすいのです。
筆者の個人的見解としては、インターネット(オンライン)集客MLM(ネットワークビジネス)の仲間は、会社(企業)の同僚以上の絆になることもあります。
インターネット(オンライン)集客MLM(ネットワークビジネス)では、ひとりひとりが自分らしい生き方を実現するために集団の全員が互いに協力しあって応援していく土壌ができやすく、また、それぞれが経験を活かし、特技や才能がある者はそれを発揮してコンテンツにして発信していく楽しみもあります。
そして、何より、環境の中で学べば、それらが「ゆとりある豊かな暮らしのためのお金稼ぎ」の一歩一歩に繋がる、という点が重要です。
筆者は、学生時代のサークル活動の頃を思い出すことが度々あるのですが、このビジネスは楽しむことが自分のためにもなり、相手のためにもなる、という点を特に好んでいます。
互いにWin-Winの関係にあるからこそ、仕組み上、末長く続けることにも繋がりやすくなっている、とも言えます。
また、一方で、個人に何か特定の技術や能力が要求されるわけでもありません。
インターネット(オンライン)集客MLM(ネットワークビジネス)は、ある意味、人の絆が目的であって、何をコンテンツにするかは集まる人次第なところもあります。
ビジョンに共感し、楽しく加わる決意さえあれば、どんな人でも環境の中で生かされやすいビジネスモデルを実現できるのです。
まとめ
金稼ぎからの自由という視点で、インターネット(オンライン)集客MLM(ネットワークビジネス)についてお伝えしてきました。
いまや、これほど人をお金の価値観の呪縛から手っ取り早く解き放つビジネスモデルはない、と思っています。
いきなり一匹狼で起業するのもありだと思います。
手を取りあって乗っかりながら進むのもありだと思います。
「大切なのはお金のゲームではない」という可能性を考えるきっかけになったら幸いです。