【知ってお得③】インスタグラムの創業者ケビン・シストロムに学ぶ

 

「インスタ映え」が日本の流行語大賞を受賞したのは2017年のことでした。

まだ4年しか経っていませんが、もはや過去の言葉となっています。

リア充アピールのために写真を盛るという遊びが、インスタグラムを見る利用者に飽きられてきたことが大きな理由かもしれません。

その一方で、インスタグラムのより実用的な利用価値が認識されてきており、大企業のマーケティングや、地域市民活動の全国への発信など、さまざまな分野で重要な役割を果たすツールに成長を遂げています。

写真共有アプリとしてのインスタグラムの認知度は高いですが、Facebookが用意するサービスのひとつだろうと思っている人も多いのではないでしょうか。

現在のインスタグラムについては、その認識で合っていますが、創業時代はFacebookから独立した事業体でした。

もともとのインスタグラムは、最高経営責任者(CEO)のケビン・シストロムと最高技術責任者(CTO)のマイク・クリーガーのふたりが、ほんの10年前の2010年10月にAppleストアでサービスを開始したのが始まりです。

この記事では、インスタグラムの共同創業者でありかつて最高経営責任者だったケビン・シストロム氏(以下シストロム)についてお伝えします。

 

 

Contents

ケビン・シストロムってどんな人?

 

ケビン・シストロムは、インスタグラムの共同創業者であり、初代の最高経営責任者です。

2010年にわずか8週間で現在のインスタグラムアプリの形を作り上げて、Appleストアでリリース。

その後Facebookの買収を受け入れたものの、自主独立経営路線を貫き、2018年にインスタグラムアプリの世界ユーザー10億人を達成しました。

しかし同年ににインスタグラムを辞職して、Facebookからも離れ、世間を驚かせました。

現在はインスタグラムの共同創業者マイク・クリーガーと共に、新たなシステム開発に取り組んでいます。

 

知名度

インスタグラムの成功で、シストロムは瞬く間にスターダムにのし上がり、2011年以降、Fortune誌の「40歳以下の40人」、TIME誌の「最も影響力を持つ100人」の常連となりました。

また、2014年には、米小売り最大手ウォルマート社の15人目の取締役にも抜擢されました。

このウォルマートの取締役会には、ヤフーのマリッサ・メイヤーCEOも参画していました。

 

幼少期~高校生

シストロムは、1983年12月30日、米国マサチューセッツ州のホリストンで生まれました。

父親はアメリカ東海岸の生活用品を扱う会社で人事部門のナンバー2で、母親はIT業界のベテランとして働いていました。

シストロムは、母親についてこう語ります。

 

「母は起業ブームが来る前の世代の起業家だった。ドットコム・バブル(90年代末に起きたITバブル)のときには宣伝・マーケティング担当として働いていたんだ。

母は45歳でスノーボードを始めるような、とんでもなくエネルギッシュでかっこいい人だよ。もし会ったら、母はかっこいいのに、息子はただのオタクだって思うに違いないよ。」

 

母親のエネルギッシュな活躍ぶりに敬意を表するシストロムは、2歳の頃からプログラミングに興味を持ち、誰に教わることなくコンピューターに親しむ子どもだったそうです。

高校は、マサチューセッツ州コンコルドの全寮制ミドルセックスで、彼はコンピューターサイエンスに抜きんでた成績を収めていました。

 

ミドルセックス高校

 

その一方でエレクトロミュージックが好きで、DJもやっていたそうです。

理由は「人をつなげられるから」。

また、ラクロス部のキャプテンで、陸上も好きだったようです。

さらに、写真が好きで写真サークルの部長だったとのこと。

「そんなふうにみんなをつないでいたんだ」とシストロムは高校時代を振り返ります。

そしてオタクな性格と、ラクロス部や写真サークルの部長を務めた経験を振り返って、こうも言います。

「僕はヤバイことができる程度にプログラミングが分かるし、会社を売り込める程度の社交性は持ち合わせている。起業するにはこの組み合わせは鬼に金棒だよ」

 

大学時代

スタンフォード大学

 

【コンピューター工学から経営工学へ専攻を変更】

 

高校卒業後は、スタンフォード大学に進学して子どものころから慣れ親しんだコンピューターサイエンスを専攻しますが、途中で経営科学・経営工学専攻に変更して、スタンフォード大学卒業時には経営科学・経営工学の理学修士号を取得しています。

 

【2004年、大学在学中にフィレンツェへ留学(21歳)】

 

在学中の2004年の冬、アルバイトで貯めたお金でシストロムは21歳で写真を学びにイタリアのフィレンツェに留学します。

なぜなら彼は、デジタルカメラが主流になっていく中で、アナログなポラロイドカメラやトイカメラの温かみに夢中になっていて、イタリアで美に対する感覚を磨きたいと思い立ったからです。

 

 

 

【2005年、マーク・ザッカーバーグからFacebookに誘われるも断る(22歳)】

 

さて、フィレンツェ留学に旅立った翌年の2005年、帰国してスタンフォード大学に復学したシストロムは、マーク・ザッカーバーグから大学を退学してFacebookに来るよう誘われますが断ります。

これは、彼がFacebookに対して反感を抱いていたからではなく、まともに学業を終えることを優先したからでした。

しかし、Facebookのようは巨大企業からの誘いに乗らないのは、キャリアという点から考えれば大失敗かもしれません。

そしてシストロムは、この失敗から「チャンスは逃してはならない」ことを学びます。

 

【2005年、Twitter創業者のもとでインターンを経験(22歳)】

 

それが22歳の時でしたが、ザッカーバーグの誘いを断ったシストロムは、後のTwitter創業者エヴァン・ウィリアムズのもとでインターンを経験します。

このインターン経験は、起業家やベンチャーキャピタルのアドバイザーと接点を持つことが出来るスタンフォード大学の起業家育成プログラム、つまり正規の学業の一環でした。

ちなみに2005年当時、Twitterはまだ存在しておらず、シストロムがインターンとして働いたのはエヴァン・ウィリアムズが共同責任者の一人であるOdeoというポッドキャスティングのプラットフォーム化を目指す会社でした。

Odeoのインターン時代に、エンジニアの一人として働いていた後のTwitterのCEOジャック・ドーシーと三ヶ月間、机を共有して働きました。

このインターン生活は、シストロムにとって新会社立ち上げの刺激的な環境を味わう初めての機会となりました。

余談ですが、Odeoが目指したポッドキャスティングのプラットフォームはAppleが先にiTuneをリリースしたので、Odeo社内はてんやわんやの大騒ぎになってしまったそうです。

 

Google時代

 

【2006年、スタンフォード大学を卒業しGoogleに入社(23歳)】

 

グーグル本社

 

このように、シストロムは大学在学中に目覚ましい経験を重ねていきますが、2006年に卒業した彼は、23歳でGoogleに入社します。

そして、マーケティングとM&Aの担当者として仕事を始めました。

 

Google在籍は2年で終了

Googleに入社してから、インスタグラムを立ち上げて大成功を成し遂げるまでのシストロムは、短期間で多種多様な活動をやり遂げます。

Googleでのシストロムの仕事で顕著な実績は、GmailやGoogle Readerなどの開発に携わったことです。

そこで彼は、会社が生き残るためには柔軟かつ迅速な思考が必要であることを学びました。

さて、シストロムがGoogleに在籍して二年が経ちました。

二年という会社生活は、凡人には「まだまだこれから」という新人期間ですが、シストロムのこれまでの経歴を見れば一目瞭然。

二年間は、いちおうの経験を積むには十分過ぎる歳月です。

 

Google退職後のシストロム

 

【2008年、Googleを辞め新規立ち上げ会社のNextstopへ転職(24歳)】

 

シストロムは、大学のインターン時代にOdeoで経験した新会社立ち上げの刺激を求めて、元Google社員が新たに立ち上げた新会社Nextstopという旅先口コミサイト会社へ転職します。(Nextstop社は2010年にFacebook社に買収されています)

このように、シストロムはあのGoogleをたった二年で辞めたというわけです。

インターン時代に味わった、大きな刺激と夢を信じて。

しかしシストロムは、もちろん、平凡な夢追い人ではありません。

これまでの経歴で分かるように、シストロムは20代半ばにして、既に業界の最も重要な企業および人物たちと仕事をしていて、彼の才能を見抜いた業界の大物がすでにシストロム自身への投資に興味を示していました。

 

新会社での勤務後、夜はコーディングを学ぶ日々

そんなシストロムは、Nextstopで働きながら夜や週末の時間に、アメリカのたいがいの若者なら耽りそうなパーティーなどに時間を割くことなく、コーディングを学ぶのです。

そして2009年10月にNexstop勤務の傍らで、彼自身のサービスの開発に着手します。

「え?会社勤めの傍らに学んだコーディング技術を元手に、新たな起業の準備?」

我々のような凡人ならば、そう思って当然ですが、シストロムは凡人ではありません。

彼には抑えきれない情熱がありました。

大学時代の一時期に、フィレンツェまで赴いた写真への情熱を片時とも失うことがなかったのです。

時代の流れもシストロムの情熱に火を付けました。

カメラ付きの携帯電話が主流になってきたのです。

 

写真共有アプリのアイディアに辿り着く

シストロムは、写真がコミュニケーションの手段になっていくという自分の考えに確信を持ちました。

その確信と情熱で、彼の写真への思いと、当時アメリカで流行っていたチェックインアプリFoursquareとソーシャルゲームアプリZyngaを組み合わせたアプリの実現を目指して勤務後に寝るのも忘れて工夫を重ねました。

当時を振り返って、「ある種の賭けだった」と彼は言いますが、日頃からの情報や知識があったからこそそういったアイディアに辿り着けたと言えるでしょう。

加えて、そんなに工夫を出来る素養は、せっせと学び続けたコーディング技術があったからです。

 

ポイント!

・ケビン・シストロムはインスタグラム初代の最高経営責任者。

・2歳にしてコンピューターで遊んでいた天才。

・大学時代は専攻を変えたり、フィレンツェに留学したりと目まぐるしく行動した。

・大学卒業後に就職したGoogleをわずか二年で辞めた。

・Googleを辞めたのちに勤めた新会社では勤務後にケーディングを学んだ。

・大学時代からの写真へのあこがれを抱き続け、写真共有アプリのアイディアを思いついた。

 

ケビン・シストロムって何をした人?

ケビン・シストロムは「インスタグラムアプリを猛烈なスピードで立ち上げて、全世界ユーザー10億人に育て上げた人」ですが、ここでは成功までの紆余曲折をまとめてみます。

 

インスタグラムの原型

 

【2009年、インスタグラムの全身Burbn(バーブン)の本格的な開発に着手(25歳)】

 

彼の当初の写真共有アプリのアイディアには、ゲームの要素が入っていました。

しかし、ゲームは開発難易度が高いと判断して、位置情報を利用したチェックインと写真の共有が出来るSNSとしてBurbn(バーブン)の開発に乗り出しました。

ところでBurbn(バーブン)は、彼が一番好きなお酒の名前から由来しているそうです。

さて、Burbn(バーブン)の開発を始めて半年後の2010年3月に、またしても転機が訪れます。

 

巨額投資を得てアプリ開発に集中

 

【2010年、50万ドルの資金調達に成功(26歳)】

 

シリコンバレーを拠点とする起業者向けのカクテルパーティーに参加した際に、サンフランシスコから来たベンチャー起業投資家にプロトタイプを見てもらい、後日ミーティングの機会を得ることになりました。

そしてミーティングの成果として、最初のミーティングから二週間のうちに投資家から、なんと合計50万ドルの資金を調達することに成功して、シストロムはNextstopを辞めてBurbn(バーブン)に集中します。

 

共同創業者の参画

 

【2010年、マイク・クリーガーが共同創業者として加わる(26歳)】

 

一方、共同創業者を見つけることが投資の条件だったため、スタンフォード大学の同窓で知り合いだったエンジニア兼デザイナーのマイク・クリーガーが参画することになります。

マイク・クリーガーは、マイクロソフトのパワーポイントチームでインターン経験がありました。

つまり巨額の資金援助に加えて、超優秀なエンジニアが共同創業者として参画してくれることになったのです。

これは、シストロムが2006年にスタンフォード大学を卒業してから、わずか四年後の2010年5月の出来事です。

シストロム、まだ若干26歳の時でした。

凡人ならば、多少の才能がある人でも40歳代半ばぐらいでなんとか手に入れることができるかもしれないチャンスを、シストロムは若干26歳で手に入れたのです。

巨額な出資と優秀な共同創業者。

シストロムのBurbn(バーブン)は、前途洋々に見えました。

 

窮地を救った婚約者

しかし、シストロムの意に反して、Burbn(バーブン)はリリースしたものの、なかなかユーザーを増やすことが出来ず、シストロムの苦悩が始まります。

そんな窮地を救ったのは、シストロムの婚約者ニコルでした。

シストロムと婚約者のニコルが休暇でメキシコに行ったとき、ふたりで海岸を散歩しながらシストロムが「今のビジネスにはみんなの目を引く何かが欠けている」というふうな話をしていました。

それを聞いた、ニコルはこんなアドバイスをシストロムに提言します。

「ユーザー目線で言わせてもらうと、上手に写真を撮れないからBurbnに写真を投稿する気にならないのよ。でも、写真にフィルターをかけられるようになったらどうかしら?きっと使ってみたくなるわよ」

彼女の提言に、「なるほどそうか!」と深く納得したシストロムは、すぐに二人が泊まっていた小さな民宿に引き返して、電話回線のネットを使って、午後いっぱいフィルターの作り方を学びました。

そのときに作ったフィルターが「X-Pro2」という色彩フィルターです。

これは今でも、作ったときそのままの形でインスタグラムに搭載されています。

このときに最初に撮った一枚は、ニコルの足と、野良犬と、タコス屋台が写った写真だったそうです。

 

わずか8週間でインスタグラムを完成

さらに、写真を共有する顧客体験を追求するため、搭載する機能を写真の投稿、コメント、いいね機能のみに絞りました。

そして、画角はシストロムが大学時代に愛して止まなかったコダックのインスタマチック、ポラロイドのインスタントカメラの両方に敬意を払い、正方形のみと思い切ってシンプルに統一しました。

これは、シストロムなりに、生かすものと捨てるものを考え抜いた結果だったのです。

こうして、写真に特化した、シンプルで必要なことだけが兼ね備えられたインスタグラムアプリが誕生しました。

その開発期間、彼女の提言からわずか八週間だったというから驚きですね。

アプリの名称もInstantとtelegramを組み合わせたインスタグラムに改名しました。

 

インスタグラム、快進撃を開始

 

【2010年、インスタグラムアプリをリリース、一週間で10万ユーザーを獲得(26歳)】

 

インスタグラムは2010年10月6日Appストアにリリースされると圧倒的な人気を誇り、一日で25,000ユーザーを獲得し、無料の写真共有アプリでトップに躍り出ました。

 

【2010年末、月間アクティブユーザー数が100万人を突破(27歳)】

 

その後も一週間で1万ダウンロードを達成、同じ年の12月には月間アクティブユーザーが100万人を突破しました。

インスタグラムの急激な成長に注目したのがTwitter共同創業者のジャック・ドーシーです。

リリース翌年の2011年2月、ジャック・ドーシーは他のふたりの投資家と共に、インスタグラムに700万ドルを投資しました。

 

【2011年、月間アクティブユーザー数が1,000万人を突破(27歳)】

 

マイク・クリーガー(左)とケビン・シストロム(右)

画像出典 : Porrfolio

https://portfolio-ai.com/kevinsystrom-interview1

 

そしてインスタグラムは、リリース後一年経たない2011年9月に月間アクティブユーザーが1,000万人を突破します。

さて、インスタグラムの急成長を目の当たりにして、多くの企業が買収に興味を示します。

これをチャンスと考えたシストロは、Twitterにインスタグラムの売却話を持ち掛けました。

評価額はなんと5億ドルです。

一方で、シストロムは大学時代に引き抜きの誘いを断ったFacebookのザッカーバーグとも連絡を取り合っていました。

何故なら、シストロムも共同経営者のクリーガーも、ユーザー数十億を超えるソーシャルネットワークを作り上げるプロセスを習得した企業を求めていたからです。

そしてシストロムとクリーガー共に、それだけの力量を持ち合わせている企業はFacebookをおいて他にはないと考えていました。

一方のFacebook代表のザッカーバーグもインスタグラムがTwitterに買収されてしまうことに恐怖を感じていました。

そこで、ザッカーバーグの独断でインスタグラムの買収を決断します。

 

インスタグラムをFacebookに売却

 

【2012年、インスタグラムをFacebookに10億ドルで売却(28歳)】

 

2012年4月。

Facebookはインスタグラムを10億ドル(約1,040億円)で買収しました。

シストロムがTwitterに持ち掛けた買収額5億ドルの倍の価格です。

しかし、Facebookに売却という形をとらなくても、業務提携、あるいはFacebookから優秀な人材を引き抜くなどの方法もあった筈です。

にもかかわらず、なぜシストロムは売却という選択肢を選んだのでしょうか。

そしてなぜ共同経営者のクリーガーも諸手を挙げて売却に賛成したのでしょうか。

 

Facebookへの売却理由

シストロムとクリーガーは、インスタグラムが将来10億人規模のサービスにまで成長する可能性があると信じて、少しでも早期にそうなることを望んでいました。

しかし、一方で「事業を拡大する」という困難で面白みに欠ける仕事をやることを嫌いました。

事業を拡大するということは、ユーザーベースの拡大に耐えうるインフラを構築したり、十分な数のエンジニアを確保したり、弁護士とやり合ったり、とにかくそういう実務的なことに多くの時間を割かれてしまいます。

その結果、シストロムとクリーガーは自分たちが一番やりたい製品づくりのようなクリエイティブにかけられる時間が半減することを避けたかったのです。

加えて、シストロムがスタンフォード大学時代に、Facebook社からの引き抜きを断るというチャンスを、今回は逃してはならないという思いもあったのかもしれません。

さて、Facebookによる買収発表から五ヶ月後の2012年9月、シストロムとクリーガーは15人の従業員たちとともに、カリフォルニア州メンローパークに構えるFacebook本社の一角に拠点を移しました。

最初のうちは、誰もがなんとなく落ち着かなかったといいます。

当時はまだ、Facebookは買収した企業に独自運営をさせるノウハウを確立していなかったからです。

しかし、シストロムは初めからまったく気にしていなかったと言います。

「マーク(・ザッカーバーグ)とはうまくやっていたからね。一緒にクールなものをつくりたいという、とにかくそれだけでしたから」

シストロムが言うように、Facebookのマーク・ザッカーバーグCEOは、インスタグラムはFacebookの傘の下になるけれども、できる限り独立させておくことをシストロムとクリーガーに約束していました。

 

インスタグラムのアクティブユーザー数が十億人に到達

実際Facebookの傘下になったことで、インスタグラムが急速に目覚ましい変化を遂げました。

具体的には、まず広告が導入されました。

2016年には「ストーリー」機能がつき、利用者数は大きく伸びました。

そして、翌年の広告収入は80億ドル(9,074億円)近くに達しました。

 

【2018年、月間アクティブユーザー数が10億人を突破(34歳)】

 

そしてとうとう、2018年6月。

インスタグラムのユーザー数が、遂に10億人を突破したのです。

シストロムとクリーガーの思惑が実現した瞬間でした。

さぞやふたりは、インスタグラムの成長のために資金、人的面で力添えしてくれたFacebookのCEOマーク・ザッカーバーグと手を取り合って喜び、将来も末永い絆を約束し合ったことでしょう。

という「めでたし、めでたし」的な予定調和で終わらないのが海千山千のひしめくアメリカシリコンバレーです。

 

インスタグラムを電撃辞任

 

【2018年9月、CEO辞任を電撃発表(34歳)】

 

インスタグラムの世界ユーザー数が10億人を突破した三ヶ月後の2018年9月、最高責任者のケビン・シストロムとマイク・クリーガーはFacebookを去ると電撃発表します。

このニュースには多くの人たちが驚き、Facebook社内にも衝撃が広がったそうです。

当然ですね。

あまりにも唐突なふたりの辞任発表に、「Facebookの強引な拡大路線に嫌気がさしたから」であるとか、「マーク(・ザッカーバーグ)はインスタグラムの運営への介入が度を越して増えていった」、果ては「Facebookが自社の製品開発にインスタグラムの開発費を流用しようとした」など、さまざまなキナ臭い憶測が飛び交っています。

ただ、ケビン・シストロム、マイク・クリーガーの両氏とも、インスタグラムの辞任とFacebookへの決別理由を語ろうとしない今、すべては憶測に過ぎず、真相は当事者以外の誰にも明らかにされていません。

なお、シストロムの後任にはFacebook社のアダム・モッセリが就任していますが、役職名はCEOではなく、「Head of Instagram」となっています。

 

左からマイク・クリーガー氏、アダム・モッセリ氏、ケビン・シストロム氏

写真出典 : ITmedia NEWS

https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1810/02/news044.html

 

ポイント!

・シストロムは写真共有アプリの開発に、ベンチャー投資家から50万ドルの資金援助の約束を取り付けた。

・大学時代の知り合いマイク・クリーガーが共同創業者に加わり、アプリ開発に専念する。

・アプリをリリースしたもののユーザー数が伸び悩んだ。

・シストロムは婚約者の助言を素直に聞き入れてアプリの改良に取り組んだ。

・婚約者の助言からわずか8週間で改良を完成させた。

・改良版アプリをインスタグラムと命名した。

・インスタブラムはAppleのアップルストアからリリースされ、順調にユーザー数を伸ばした。

・Facebook社の買収話を受け入れるが、独自経営路線を約束させた。

・インスタグラムは、2016年に世界のアクティブユーザー10億人を達成する。

・アクティブユーザー10億人を達成した三ヶ月後の2018年9月、シストロムと共同創業者のクリーガーはインスタグラムを辞職する。

 

ケビン・シストロムの経営哲学

ところで、シストロムがFacebookを去る三年前の2015年頃、彼の経営哲学を理解する手助けとなる興味深い逸話を紹介します。

 

従業員に嫌われるほどのきれい好き

シストロムは、ずっと見た目にこだわってきました。

乱雑なものを嫌ったのです。

その執着はインスタグラムのオフィス、さらにはゴミ箱にまで及んだといいます。

2015年当時のインスタグラムのオフィスは、シストロムの美的感覚とはまったく相反するものでした。

そして彼は、オフィスがあまりにもみすぼらしく、散らかっていたことにうんざりしていました。

当時のオフィスはインスタグラムが目指していた「手作りで、美しく、シンプルであること」からまったくかけ離れた状況だったのです。

従業員の机の上は乱雑で、会社の執念記念の風船がしぼんで垂れ下がり、足元にはごみでいっぱいのゴミ箱が置かれていました。

シストロムはこれらをすべて撤去し、ゴミ箱を置くことさえも禁じました。

この出来事は、従業員の反発を招きます。

シストロムのオフィスへの見た目の固執は「最高にいかしていることを示すためのデモンストレーション」であり、仕事の妨げになるというのです。

 

きれい好きの真の理由

しかし、シストロムは単なる恰好良さのために見た目に拘ったのでしょうか。

世界的な製造業として、不動の地位を築いているトヨタ自動車に影響を受けていたのです。

 

トヨタ自動車本社ビル

写真出典 : 5名鉄不動産鑑定日誌

 

トヨタは、工場内は当然のこととして、事務職が働くオフィス内でも整理、整頓を徹底し、完璧に近い形で常時、無理と無駄を排除しようと全従業員が努力を継続しています。

なぜなら、結局はその方が、仕事の効率が良いし、個々の仕事もはかどり、無駄な残業で疲れることなく、早く帰宅ことが出来て余計なストレスに悩まされることがないことを体感しているからです。

それを称して5Sと呼びます。

5Sとは、「整理」「整頓」「清掃」「清潔」「しつけ」の頭文字のSをとったものです。

 

整理 : 不要なものを捨てること

整頓 : 使いやすく並べて表示をすること

清掃 : きれいに掃除をしながら、あわせて点検すること

清潔 : 綺麗な状態を維持すること

しつけ : 綺麗に使うように習慣づけること

 

トヨタ方式を取り入れたシストロム

シストロムは、完全に5Sの概念と実行を自分たちの働くオフィスに導入しようとしたのです。

ただ、いきなりゴミ箱まで撤去されてしまったら(ゴミ箱は撤去ではなく、給湯室など所定の位置に置かれました)、5Sなど知らない従業員は戸惑ったでしょうし、反感を抱くのも分からなくはありません。

おそらく5Sの「清潔」の部分だけを取り上げて、「シルトロムさんは、見栄えを気にするエエかっこしい」だと誤解してしまったのだと思います。

 

リーダーが率先して実行したオフィスの5S活動の結果

ただ、リーダーであるシストロム自身が率先して5Sを進めたこともあったのでしょう。

インスタグラムは順調に成長を続けて、2018年には世界ユーザー10億人を達成するのです。

インスタグラムとトヨタ自動車。

業種も会社の規模も異なります。

しかし、いずれも社長自らが、従業員に率先して地道に有益な活動に取り組んでいます。

それは会社が成長する最も大事な要素であることの証左となっています。

 

Twitterを押さえて世界のSNSユーザー数TOP5入り

現在インスタグラムは、既にTwitterのユーザー数を抜き去り、人気SNSとしてTOP5に君臨するまでに成長しています。

 

ポイント!

・見た目に拘り続けたシストロムは、乱雑にちらかった自社オフィスに我慢ならなかった。

・自らオフィスを整理して、ゴミ箱まで撤去した。

・従業員からブーイングを浴びた。

・しかし、オフィスの整理はシストロムの美意識だけではなく、世界の名だたる成功している経営者から学んだ結果の行為だった。

 

数字と図表で見るインスタグラム

ここでインスタグラムについて、数種類の統計資料を見てみましょう。

まずは2013年1月から2018年6月までの世界の月間ユーザー数の推移を見ると、わずか5年間で9,000万人から10億人まで急カーブで増加していることが一目で分かります。

 

日本に限ると、2014年のユーザー数は400万人でしたが、2019年になると3,300万人とやはり、急カーブで増加しています。

 

次に国別ユーザー(2021年1月現在)を見てみましょう。

アメリカとインドが1億4,000万人と同率首位で、日本には3,800万人のユーザーがインスタグラムを利用しています。

 

世界で利用されているSNSランキングを見ると、2021年1月現在、インスタグラムはTOP5の座を確保しています。

 

アメリカの場合ですが、性別利用者数は2021年1月現在で女性が56.6%、男性が43.4%と女性の利用者が多いことが分かります。

 

一方、日本を見ると、10代から40代までは女性の利用者数が男性より多い、50代で同数、60代になると男性比率が女性を上回っています。

ただ、アメリカの統計は全年齢層を対象にしているので、一概に日米比較はできません。

 

著名人のフォロワー数ランキングを見てみましょう。

アメリカでは、ロナウド、アリアナ・グランデ、ドウェイン・ジョンソン、キム・カーダシアン、ビヨンセ、ジャスティン・ビーバーなどの名前が上位に連なっています。

 

資料グラフ出典 : 米国資料statista

https://www.statista.com/

 

資料グラフ出典 : 日本資料unique one

https://unique1.co.jp/column/sns_operation/421/

 

日本はどうでしょう。

各分野総合でのフォロワー累計ランキングでは、渡辺直美さんがダントツの1位を保っています。

 

1位 : 渡辺直美(963万人)

2位 : ローラ(647万人)

3位 : 水原希子(573万人)

4位 : 山下智久(430万人)

5位 : 佐々木希(442万人)

6位 : 嵐(431万人)

7位 : 鈴木優子(417万人)

8位 : 山崎賢人(416万人)

9位 : 近藤麻理恵(400万人)

10位 : 森崎智美(385万人)

 

データ出展 : refetter

https://insta.refetter.com/

 

シストロムから学ぶこと

シストロムは、2歳の時からコンピューターに親しみ、名門のスタンフォード大学に難なく進学するなど、わたしたち凡人とは出来が違うと言えなくもありません。

しかし、彼の言動を仔細に眺めると凡人でも学べることが多くあります。

 

自らのビジョン実現のために大学を利用

まず、彼は大学在学中に専攻を変えました。

コンピューター工学から経営工学への転身です。彼のその後の成果を見て分かることですが、彼が先行を変えたのは、気まぐれではなく将来にむけて彼が描くビジョンに経営工学を学ぶことが必要だと判断したからです。

多くの人は、いったん専攻した学部を変えることに労力を費やしたくはありません。

おそらくは、そのまま惰性で最初の学部に籍を置いたまま成り行きで卒業して、成り行きで就職してしまうことでしょう。

しかしシストロムは違いました。

自分のビジョンを明確に意識して、躊躇なく専攻学部を変更したのです。

誰しも将来のビジョンをぼんやりと描くことはあるでしょう。

しかし、そのビジョンに向けて、直ちに現在できることを実行してしまうことは尊敬に値します。

 

成り行きに流されない行動派

またシストロムは、美を追求したいがために、大学在学中にせっせとアルバイトやインターンでお金をためて、フィレンツェに美術留学をします。

一見、経営工学とはなんら関係のない衝動的な行動に見えますが、将来の彼の成功にとってフィレンツェへの留学は大きな意味を持つものであったことが分かります。

ここでもシストロムの描く将来へのビジョンが、いかに明確なものであったのかを察することができます。

 

目先の利益より将来のビジョンの実現を優先させる

またシストロムは、大学卒業を控えた時期に超一流企業Facebookから、退学して高給でFacebookで働かないかという誘いを断ります。

退学しFacebookの一社員になってしまうことは、自分が描いたビジョンに反するという確固とした考えがあったからにほかなりません。

 

一回目の失敗から学び次につなげる努力

大学卒業を優先したシストロムでしたが、Facebookに就職するチャンスを逃したことを「第一回目の失敗」であるとも考えます。

その結果として、将来的な第二のチャンスに備えて、Facebookと繋がりを保つために、シストロムはマーク・ザッカーバーグと連絡を取り合い続けます。

 

気まぐれや思い付きで行動しない

大学を卒業して社会に出たシストロムは、Googleに就職しましたが、二年で辞めて新規に立ち上げる会社の設立準備に関わります。

この行動も、「今どきの若者の気まぐれ」ではなく、近い将来に自ら起業するための経験の一環だったことが、のちほどの彼の成功を見て理解できます。

 

常に勤勉

また、新会社に移った後も、勤務後はコーディングを学びます。

このとき覚えたコーディング技術が、後のインスタグラム運営に役立ったことは言うまでもありません。

その間も、シストロムは起業家を支援する投資家たちの集まるパーティーに参加して、人脈を築く努力を惜しまなかったのです。

 

人の意見を聞く素直さと集中力

そして、いよいよ自ら描いたビジョンを実現すべく写真共有アプリを立ち上げますが、最初は思うようにユーザーが伸びません。

そんな折に、婚約者の提言を素直に聞いて、即座に取り入れます。

それは色彩フィルターでしたが、婚約者の提言を受けたその日に、シストロム自らがその技術をわずか半日でものにしてアプリに搭載し、そこから成功への道が開けるのです。

素晴らしい素直さと、凄まじい探究心、それから集中力ですね。

 

二回目のチャンスは必ずものにする

いよいよ自ら立ち上げたアプリ会社が軌道に乗る兆しが見え始めた時、Facebookのザッカーバーグから、買収のオファーを受けます。

大学時代に経験したFacebookへの就職を断ったという一回目の失敗に学び、二度目の失敗はしないと決めていたシストロムは、Facebookのオファーを受けて成功へ向けた最後の階段を上ったのです。

 

成功に酔いしれることなく弛まぬ研究を継続

しかしシストロムは浮かれていませんでした。

経営者としての彼は、おそらく世界の成功した経営者について日夜研究していたのでしょう。

その証として、インスタグラムの従業員にオフィスの5S(整理、整頓、清掃、清潔、躾)を指示します。

5Sはトヨタ自動車をはじめとして、ビジネスで成功している会社なら社長自らが率先して実行している業務の効率化活動です。

当然、最初は野放図に好きにオフィスで振舞っていた従業員には煙たがられます。

しかし、無駄と浪費を徹底的に排除して整理して、頑固なまでにシンプルさを追求するシストロムの経営方針はインスタグラムアプリにとって正解でした。

平凡な人気アプリで終わっていたかもしれないインスタグラムを、2016年に世界ユーザー10億人を誇るアプリに大化けさせたのですから。

 

シストロムの二つの名言

ケビン・シストロムの次の二つの言葉が名言として知られています。

 

「始められない理由なんてどこにもない」

 

どんな状況にいても、たとえ些細な希望であっても、自分のビジョンを明確化して、斜に構えることなく、素直にシンプルにやるべきことを実行する。

この姿勢がビジョンを実現可能にするたったひとつの秘訣だ、と言い換えることが出来るのではないでしょうか。

「どうせできっこない」とか「こんな年になって無理だ」なんて概念は、シストロムの中にはないのです。

 

「周囲の人たちから学ぶ姿勢で積極的に動くべきだ」

 

オタク気質のあるシストロムでしたが、反面でさまざまなパーティーや集会、学習会にも顔を出しています。

事業、コーディング、プログラミング、どのような分野であっても、一人で孤軍奮闘して出来ることは限られていることを知っていたからです。

シストロムは、自分で立ち上げたアプリの人気が伸び悩んでいる時に、婚約者の助言も真摯に受け止め、即座に取り入れて成功のきっかけをつかみました。

自分の成長は、自分ひとりで成し遂げられるものではないということを、シストロムはよく理解していたのです。

 

ポイント!

・シストロムは惰性や成り行きで大学に在籍しているのではなかった。

・目先の利益に惑わされることなく、自ら描いた将来ビジョンに続く道を歩もうと努力した。

・一回目の失敗から、二回目の失敗を犯さないように心に誓った。

・気まぐれ、思いつきだけの行動は避けて、常に勤勉を貫いた。

・人の意見を真摯に受け止めて実行した。

・成功に溺れて執着することなく、常に最善を目指して研鑽を重ねた。

 

ケビン・シストロムの現在とこれから

シストロムの生まれ育ちと、青年期の履歴を見るにつけ、彼は幼少期から、あたかもインスタグラムの誕生に向けて突っ走ってきたように感じられます。

しかし、インスタグラムを離れたシストロムは、まだまだたくさんの仕事をこなすつもりです。

昨年2020年の4月には、インスタグラムの元共同創業者のマイク・クリーガーと手を組み、新型コロナ感染追跡サイト「Rt.live」を公開しています。

「Rt.livel」の分析手法はオープンソースとして公開しており、誰もが使えるように配慮されています。

また、「シストロムがTikTokの次期CEO候補」という噂も昨年の9月に複数のメディアで報じられました。

いずれにしても、ケビン・シストロムは今年37歳。人生の前半すら終えていません。

今後の彼が、どのようなプロジェクトで世界を魅了してくれるのか大いに楽しみです。