【知ってお得②】投資の神様ウォーレン・バフェットに学ぶ稼ぎの極意

 

この記事では、ウォーレン・バフェットについてお伝えします。

ウォーレン・バフェットは、投資の神様とも呼ばれる人です。

米国株投資に関わっている人も、一度は耳にしたことがあるでしょう。

バークシャー・ハサウェイという社名でピンと来る人もいるかもしれません。

 

 

ウォーレン・バフェットってどんな人?

 

ウォーレン・エドワード・バフェット(Warren Edward Buffet)は、アメリカ合衆国の投資家、実業家、フィランソロピストであり、世界最大の投資持株会社であるバークシャー・ハサウェイの筆頭株主であり、会長兼CEOです

大統領自由勲章も受章しています。

 

幼少期〜大学時代

1930年8月30日、ネブラスカ州オハマに小さな証券会社を営む父ハワード・バフェット(Howard Buffet)と母レイラ(Leia)との間に、姉と妹の間の長男として生まれ、プロテスタントの家庭に育ちます。

Rose Hill Elementary Schoolで初等教育を受け、1942年に父親が初めての連邦議会議員に当選(その後4期連続)するとワシントンD CのAlice Deal Junior High Schoolに入学し、その後Woodrow Wilson High Schoolを1947年に卒業します。

高校の卒業アルバムには「将来、ストックブローカー(株取引者)になる」と書いていたようです。

大学に行かず、株投資に専念したかったようですが、父親のプレッシャーに遭い、ペンシルバニア大学ウォートン校に2年間通い、その間にAlpha Sigma Phi(エール大学が創設した、全米で10番目に歴史のある男子学生社交クラブ)に入会したようです。

大学3年目にネブラスカ大学リンカーン校に編入し、理学課程を修了。

修士号取得のためにハーバード・ビジネス・スクールを受験して断られたものの、証券アナリストで「賢明なる投資家」の著者であるベンジャミン・グレアムがコロンビア大学コロンビア・ビジネス・スクールで教鞭を取っていることを聞きつけ、同校に入学し経済学の修士号を取得します。

その後、ニューヨーク証券取引所(NYSE)が設立した教育機関であるNew York Institute of Financeで株式についての勉強を更に深めました。

 

投資ビジネスに至るまで

バフェットは既に幼少期からビジネスや投資に興味を示していました。

7歳の時にオマハの公立図書館で借りたOne Thousand Ways to Make $1000がきっかけだったようです。

彼のベンチャー・ビジネスはチューイング・ガム、コカ・コーラのボトルや週刊誌を一軒一軒回って売ることから始まります。

祖父の食料品店でもお小遣いを稼いでいました。

高校時代には新聞配達、ゴルフボールや切手の販売、カーディテイリングなどを行っています。

1944年、人生初の所得税申告の際、新聞配達に使う費用(ビジネス活動に必要な経費)として自転車と時計の合計額35ドルをちゃっかり課税控除の対象として計上したエピソードもあります。

1945年、高校3年生の時には友人と中古のピンボールマシンを購入し、地元の理髪店に置くビジネスを始め、数ヶ月後にはオマハの3件の理髪店に数個のビンボールマシンを設置するまでに至りました。

この事業は後に退役軍人に1,200ドルで売却しています。

バフェットの株式市場と投資に対する興味と情熱は小学校の頃から全く衰えることを知らず、その頃から父親の証券会社の近くにある地元の株式取引所の顧客のラウンジで時間を過ごすことが好きでした。

10歳でニューヨークへ旅行した時にはニューヨーク証券取引所を訪れています。

11歳の時に姉ドリス・バフェット(後にフィランソロピストとして活躍)と共にCities Serviceの優先株3株を購入。

15歳の時にはワシントン・ポスト紙の配達で月額175ドルの収益を得ていました。

高校に入学すると父親の所有しているビジネスに投資し、40エーカー(約4,896坪)の農場を購入し、農場で働く人を雇っています。

大学を卒業する頃には9,800ドル(現在の105,000ドル相当)の貯金があったようです。

 

大学卒業後〜パートナーシップ運営まで

1951年にベンジャミン・グレアムが保険会社GEICOの重役であることを知ると、電車に乗ってワシントンD.C.のGEICO本社へ向かいました。

門前払いをされそうになったものの、中に入れてくれるまでドアを叩き続け、そこでバフェットは当時の副社長、そして後の友人であり影響を受けたロリマー・デビッドソン(Lorimer Davidson)に出会ったというエピソードがあります。

同年大学院を卒業し、グレアムの下でただでもいいから働きたいと懇願したものの、ユダヤ人のための雇用を確保しておきたいというグレアムの事情により断られます。

グレアムはユダヤ人で、当時はユダヤ人の就職が困難という社会的な事情がその背景にあったようです。

その流れで1951年から1954年までの間、父親の創立した証券会社であるBuffett-Falk & Companyでセールスマンとして働きます。

その間、人前で話をする訓練のためにデール・カーネギーの演説コースを受講し、学んだ知識を使いネブラスカ大学夜間クラスで平均年齢が彼の2倍以上の受講生に”投資原理”を教えていました。

この頃にスーザン・トンプソン(Susan Thompson)とデートをするようになります。

1952年にスーザンとDundee Presbyterian Churchで結婚し、婚約時には資産の6%の価値の婚約指輪を贈ったそうです。

1953年に長女スーザン・アリス(Susan Alice)をもうけ、翌年には2人目の子供ハワード(Howard)が生まれます。

1954年にグレアムより電話でパートナーシップでの仕事の誘いがあり、資産運用会社グレアム・ニューマンに証券アナリストとして入社します。

初任給は年間12,000ドル(現在の114,000ドル相当)。

ここでは後に著名な投資家になるウォルター・シュロスと共に働いています。

1956年にはグレアムは引退し、会社が解散。

その時点で個人の貯金は174,000ドル(現在の1.64百万ドル相当)にもなったそうです。

会社の解散後、故郷オマハに帰り、合計105,000ドルを7人の家族と友人から集め、投資のパートナーシップであるバフェット・アソシエイツ株式会社(Buffett Partnership Limited)を設立。

その後、年内に2つのパートナーシップをつくり、パートナーシップを合計で3つ運営します。

1957年にファーナム通りにある漆喰作りで5つの寝室を備えた家を31,500ドルで購入し、現在もこの邸宅に住んでいます。

1958年に第三子のピーター(Peter)が生まれます。

1959年には6つのパートナーシップを運営し、そこで後にバークシャーの副会長となるチャーリー・マンガーに出会います。

1960年までには7つのパートナーシップを運営します。

この頃のパートナーである1人の医師に、10,000ドルを投資する気がある医師を10人見つけてきてほしいと頼み、11人を紹介してもらいますが、この中には現在まで投資している家族があり、当時投資した1万ドルは現在では5億ドル程度になっているというエピソードがあります。

1961年パートナーシップの資産が数百万ドルを突破し、その35%を火災保険会社向けの地図の製作・販売会社Sanborn Map Companyに投じた事を明らかにしています。

最終的に同社株式の23%をアクティビスト投資家として保有し、取締役会の一員となり、合計で44%の議決権を味方につけました。

プロキシファイトを避けるために取締役会はフェアバリューでの買い戻しを提案し、それを受け入れたことで2年程で50%のリターンを獲得しています。

1962年にニューヨークへ出かけ、古い友人から数十万ドルの資金を集め、パートナーシップの資産が717万ドル(内102万ドルはバフェットの持ち分)に増加。

結局、多数あったファンドをバフェット・パートナーシップ一つにまとめ、最小投資規模を25,000ドルから100,000ドルに変更します。

チャーリー・マンガーの助言に従い、ハリー・ボトルに投資。株主として同社に一時解雇、コスト削減等の経営改善策を実現させ、大きな利益を出しました。

1963年には風車製造会社デンプスターを購入時の3倍の株価で売却。

投資時点では価値が低いとみられていた企業で構成したポートフォリオは、200万ドル以上の価値を持つようになりました。

翌年、アメリカン・エキスプレスが倒産しそうな子会社に対して法的義務のない状態で資金を融通しようとしたスキャンダルにより同社の株価が暴落した際、バフェットはこれを解決可能な問題であると判断し、逆に株を買い増しました。

1965年にウォルト・ディズニーに出会い、ウォルト・ディズニー株を買い始めます。

一株38セントで当時の時価総額の5%にあたる400万ドルを投資し、一株48セントになったときに売却したものの、後に買い戻すことにしたそうです。

このことについて、当時の売却は失敗だったと認めています。

1967年にはバフェットのパートナーシップの資産が6500万ドルになり、初めて10セントの配当を出した1969年、バフェットはパートナーシップの解散をします。

 

バークシャー・ハサウェイ買収の経緯

1962年12月にバフェットは最初のバークシャー・ハサウェイ株(以後、バークシャー)を買います。

初回の買付価格は7.50ドルです。

当時、バークシャーは経営難の紡績会社であり、そのままでは事業が立ち行かない状況でした。

驚くべきことに、当初バフェットはバークシャー株を長期保有するつもりはありませんでした。

もともと、バフェットはバークシャー株を割安な投資機会だとしか見なしていなかったようです。

彼は、同社が一部の工場を閉鎖し、自社株買いをすると予想しました。

そして、それに乗じて、小さな利益を得ることができると考えました。

バフェットの予想は的中し、1964年、バークシャーの経営陣は、バフェットが保有する株式を11.50ドルで買い戻すことを提案しました。

これは、最初の買付価格から約53%も高い価格です。

しかし、バークシャーの経営陣は買戻価格を11.375ドルに引き下げました。

それまでは、バフェットは買い戻しに応じようと考えていましたが、その引き下げに激怒した彼は、1965年5月、同社の支配権を獲得するのに十分なバークシャー株を買うことを決めたのです

その後、その経営陣はバフェットにより追放されました。

バフェットはバークシャーを買収したものの、長期的に紡績事業を経営するつもりはありませんでした。

彼は、同社を持株会社として使用することに決め、保険会社を買収します

保険会社を買収したことにより、多額の投資資金を手に入れたバークシャーは、現在の巨大なコングロマリット企業を構築することができました。

バークシャーのクラスA株式は2021年1月末時点で344,100ドル、バフェットの最初の買付価格に対して4,587,900%のリターンを上げています。

 

バフェットらしからぬ投資

バークシャーへの投資とその後の買収劇は、典型的なバフェットの投資判断ではないのが面白いところです。

バフェットは、感情に惑わされず投資判断できる能力に優れていると言われていますが、バークシャー買収の動機は経営陣に対する復讐心でした。

バフェット自身も、バークシャーへの投資を、史上最悪の投資だと言っています。

彼が言うには、引き下げられた価格ででもバークシャー株を売り、最初から保険会社を買収していれば、紡績会社という足手まといなしで投資会社を始めることができ、実際より何千億ドルも多くの利益をあげられただろう、ということです。

 

ポイント!

・父親が証券会社を経営するなど幼少期から投資に接する機会がありました。

・ワシントンDCに住む事で金融業界が身近となり、更なる理解を深めました。

・ベンジャミン・グレアムとの出会いで人生が急変しました。

・チャーリー・マンガーとの出会いで投資活動に拍車がかかりました。

 

買収後のバークシャー・ハサウェイの実績

紡績事業から保険事業を中心としたコングロマリット企業へと変貌したバークシャー・ハサウェイの主な事業は買収、株式投資の2つです。

その2つの事業内容を説明していきます。

 

買収

①保険業・再保険業・再々保険業

保険業と再保険業においてバークシャーが所有する子会社は多数あり、国内外に70以上の拠点を置いて事業を展開しています。

バークシャーは、元々は主にアメリカ国内で損害保険および再保険ビジネスを展開してきましたが、1998年12月に再保険大手のジェネラル・リーを買収したことにより、生命保険・健康保険・事故(傷害)保険に対する再保険分野に新たに進出するとともに、損害再保険の分野についても国際的な拠点を持つ大手となりました。

近年でも、外国企業の買収や、新たにモノライン(金融保証保険)分野に参入するなどの手法により事業を拡大しています。

バークシャーの保険部門は、非常に高い資本力を維持していることで知られています。

この資本力を生かして、再保険のみならず、他の再保険会社の保険金支払いを保証する再々保険ビジネスも展開しており、世界最大の再々保険会社も所有しています。

高い資本力と、再々保険の引き受けによる再保険市場への絶大な影響力によって、保険事業部門は業界内でも他の保険会社と一線を画した強さを持っています。

バークシャーの保険事業部門全体の剰余資本(アメリカの保険業法に定められている)は、2004年12月31日時点でおよそ480億米ドルにのぼっており、バークシャーの主要な保険事業子会社は、その財務信用力についてスタンダード&プアーズ社から最高ランクAAAの格付けを獲得しています。

また、保険会社を専門とする格付け会社であるA.M. Best社からは、会社の財務状態と企業業績を評価され、最高ランクのA++(スーピアリア、superior)の格付けを得ています。

GEICO : 1996年1月に買収。

ガイコはメリーランド州チェビーチェイスに本部を置いており、創業当初は公務員とその家族を対象に保険を販売していましたが、現在では一般消費者にも保険を販売しており、子会社6社とともに個人向け旅客自動車保険を中心に、住宅保険や災害保険、生命保険など様々な保険商品を販売しています。

全米で事業を展開しており、子会社は「ダイレクト・レスポンス・メソッド」と呼ばれる、消費者が電話、メール、インターネットを通じて直接会社に保険契約の申し込みを行うという手法を採っています。

ジェネラル・リー : 1998年12月に買収。

コネチカット州スタンフォードとドイツのケルンに拠点を置いています。再保険事業を展開しており、「ジェン・リー」として知られています。

ジェネラル・リーは、1994年よりドイツのケルン再保険(Cologne Re)と連合して事業展開をしてきましたが、2010年7月1日をもってケルン側が社名を「ジェネラル・リインシュアランスAG」に変更し、名実共に同一企業となっています。

ジェネラル・リーとその子会社は、現在世界約72都市で再保険業務をグローバルに展開しており、北米地域での損害再保険ビジネス、国際規模の損害再保険ビジネスと生命保険・健康保険に対する再保険ビジネスが強みです。

純保証保険料と資本では世界最大の再保険会社です。

NRG : 2007年12月に買収。

元はオランダの大手金融グループINGグループの傘下で再保険事業を展開していました。

バークシャー・ハサウェイ・アシュアランス : 2007年12月に新たに設立されたモノライン(金融保証)保険を専門とする企業です。

ニューヨーク州などで免許を取得し、事業展開をしています。ニューヨーク州の働きかけで設立されたとも言われています。

 

②エネルギー業

バークシャーはエネルギー業でも多数の子会社を所有しています。

エネルギー事業を展開するミッドアメリカン・エナジー・ホールディングス・カンパニーの株式のうち83.7%(潜在株式調整前では80.5%)を保有しています。

同社は、1971年に創業されたカルエナジー・ジェネレーション社(Cal Energy Generation Company)を源流とし、同業他社の買収を重ねながら成長し、1999年に持株会社体制への移行による組織再編で現在の組織体制となりました。

さらにこの年にバークシャーなど三者からなるグループによって買収が開始され、2000年に買収が完了します。

しかし、当時は1935年の公益事業持株会社法によって、電力業者または都市ガス業者といった公益事業者が発行する10%以上の証券を保有する州際持株会社は、証券取引委員会(SEC)への登録が義務付けられ、また合併・証券発行・買収・資金調達・資本構成などについてSECから規制を受ける立場にあったため、バークシャーの出資にも大きな制約が伴いました。

この時の買収総額は約90億ドルで、バークシャーは他二者の出資分約3億ドルを除く約87億ドルを出資しましたが、そのうち通常の普通株の取得額は約12億5,000万ドルに留まり、残りは議決権持分にして75%相当(潜在株式調整前)の無配当型普通株式転換権付優先株式と、8億ドルの非転換・トラスト型優先証券(非転換型信託優先証券)を取得するという複雑な方式を採っています。

しかし、2005年に公益事業持株会社法が廃止されたことで、現在はこのような複雑な出資形態を脱しています。

2014年4月30日にミッドアメリカン・エナジー・ホールディングス社は社名を「バークシャー・ハサウェイ・エナジー」に変更しました。

同社は、傘下企業を通じてアメリカおよびイギリスで発電事業や電力供給事業、ガス供給事業などを展開しています。

 

③繊維業・履物業

バークシャーは繊維業、履物業の子会社も所有しています。

フルーツ・オブ・ザ・ルーム、ガラン、フェクハイマー・ブラザーズ及びラッセル・コーポレーションは衣料品の製造と流通を行っています。

H.H.ブラウン・シュー・グループとジャスティン・ブランズは履物業を展開しています。

 

④製造業

2000年8月にアクム・ビルディング・ブランズを買収。

テキサス州フォートワースに本部があり、粘土レンガ、コンクリートブロックの製造、流通と石灰の切り出しを行っています。

2000年12月にベンジャミン・ムーアを買収。

ニュージャージー州モントベェイルに本部があり、主にアメリカとカナダで利用できる建築上のコーティングの製造、小売を行っています。

2001年2月にジョンズ・マンビルを買収。建築製品を約150年間にわたって供給してきています。

パイプ、ダクト、設備絶縁製品と同様に家・商業用建築物の壁、屋根裏、床のファイバーグラスウール絶縁製品を製造しています。

2001年7月に90%のミテック株式を取得。

同社は、ミズーリ州チェスターフィールドに本部があり、コネクタ製品、エンジニアリングソフトウェアの製造とサービスの提供を行っています。

更に建築構成要素産業のトラスの製作区分に機械装置の製造も行っています。

2001年にショー・インダストリーズを買収。

ショー・インダストリーズはジョージア州ダルトンに本部があり、世界2位のカーペット製造会社です。ウールのカーペットと住居用のラミネート床と30ブランドの製造をしています。

1972年にシーズ・キャンディーを買収。

シーズ・キャンディーは1921年チャールズ・シーと妻のフローレンスがカリフォルニア州ロサンゼルスで創業しており、箱詰めのチョコレートと菓子類を生産しています。

シーズ・キャンディーは、家族で祝う祭日が多い11月と12月に稼ぐ利益が年間利益の約半分で季節的に偏在しています。

 

⑤建築業

2003年8月7日にクレイトン・ホームズを買収。

テネシー州ノックスビルの近くに本部があり、垂直的に統合した住宅供給会社です。

2004年末現在、12州32ヵ所の製造工場が稼動しています。家屋は1,540の小売ネットワークを通して48州で売られています。

このうち391ヵ所の事業所は会社が所有している販売センターです。

 

⑥賃貸業

2001年9月にエクストラを買収。

エクストラはミズーリ州ローイスに本部があり、輸送機器の賃貸を行っています。約105,000個の輸送機器を管理しています。

2000年にコルト・ビジネス・サービスを買収し、株式の80.1%を所有。米国内の家具、装飾品の供給、家具レンタルを行っています。

 

⑦フライトサービス

1996年にフライト・セーフティー・インターナショナルを買収。

本社はニューヨーク州フルーシングのラガーディア空港にあります。

プロの航空訓練サービスを提供する企業です。

1998年にネットジェッツを買収しています。

 

⑧運送業

2003年5月にウォルマートからマクレーンを買収。

卸売り流通と、米国50州とブラジルでディスカウントの小売業者、コンビニ、ファストフード、レストラン、薬局、映画劇場などの顧客に運送サービスを提供しています。

 

⑨小売業

バークシャーは、ネブラスカ・ファニチュア・マート・R・C、ウィリー・ホーム・ファーニッシング、スター・ファニチュア・カンパニー、ジョーダンズ・ファニチュアを通じて家具事業も展開しています。

2002年にアメリカで最大の台所用品を販売しているパンパード・シェフを買収。本社はイリノイ州にあります。

 

⑩その他の業種

1986年にスコット・フェッツァー・カンパニーズを買収。

多様な製品の製造、流通を行う、32の事業を持つ複合的企業グループです。

これらの事業の中で最も大きな2つの事業はカービー・ホーム・クリーニング・システムズとキャンベル・ハウスフェルド・プロダクツです。

キャンベル・ハウスフェルド・プロダクツはスコット・フェッツァー・カンパニーズの傘下から離れマーモンに売却しますが、マーモンは2015年にバークシャーの子会社になります。

1992年にデイリークイーンを買収。

およそ6,000の店舗をデイリークイーン、オレンジ・ユリアス、カルメルコーンの名前で展開しています。

デザート、飲料、お惣菜、ブレンドフルーツジュース、ポップコーンなどの食品を提供しています。

2002年にアルベッカを買収。

ジョージア州ノークロスに本部があり、主にラーソン・ユールの名前で事業展開をしています。

2002年にCTBインターナショナルを買収。

インディアナ州ミルフォードに本部があり、家禽の肉、卵、豚の生産をしています。

ピーク時の売上高は第2と第3四半期で、製品はアメリカとヨーロッパで生産されています。

 

株式投資

バークシャー買収以降、バフェットが中心に運用を行なってきましたが、2010年よりトッド・コブス(Todd Combs)とテッド・ウェシュラー(Ted Weschler)も投資運用者として加わっています。

2016年には株主にそれぞれが100億ドルずつ運用している事が報告されています。

2017年時点で以下5銘柄がポートフォリオの65%を占めていました。

アメリカン・エキスプレス(120億ドル)

アップル(192億ドル)

ザ コカ・コーラ カンパニー(170億ドル)

IBM(112億ドル)

ウェルズ・ファーゴ(278億ドル)

2018年2月にIBMの株式を売却し、2018年5月4日にIBM株全株売却を発表したと同時にアップル株を買い増しました。

2019年9月から2020年8月の間に日本の大手商社5社(伊藤忠、三菱商事、三井物産、住友商事、丸紅)の株式各5%をバークシャーの子会社であるNational Indemnity Companyを通して購入しており、2020年8月時点で60億ドルに相当します。

 

ポイント!

・元々、紡績業だったバークシャー・ハサウェイの箱を借り、コングロマリットまでに拡大させました。

・保険業・再保険業から始まり、多岐な事業分野に亘る子会社を60社以上所有しています。

・2017年時点で5銘柄がポートフォリオ全体の65%を占めています。

 

ウォーレン・バフェットの投資哲学

①経営陣の報酬について

経営陣は自分の食い扶持は自分で稼ぐべき

経営陣に報酬としてストックオプションを与えてはならない

 

②株式を保有する際の心得について

投機としてではなく、会社を所有する覚悟で株式を購入する

無形資産の価値を認める

 

③相場の変動について

短期的な株価変動に惑わされない

周囲が熱狂している時は投資を控え、周囲が尻ごみしている時に投資を仕込む

有事の際に投資できるよう、平時にお金を貯めておく

 

④投資戦略について

収益を次の事業成長に再投資している会社に投資する

完全に理解するには難しすぎる事業には出資しない

多くの人が必要としている製品を提供しているが魅力的に見えない会社に投資する

自社株買いはたいていの場合、会社の資金使途として最良である

 

⑤バリュー投資について

金額面だけ見てお買い得だからと投資をしてはいけない

企業の成長性だけを期待して投資してはいけない

自分が保有する株式で、別の株式を買ってはいけない

 

⑥グローバル経済について

アメリカは衰退しているのではなく、ますます良くなっている

現在の取締役会は企業価値向上に対して効果的に機能していない

 

⑦経営陣について

投資家として、ナマケモノの美徳を理解すべきだ

時間は素晴らしい事業の友人であり、平凡な事業の敵である

複雑な金融商品には手を出すな

投資銀行家のインセンティブは、通常、投資家のインセンティブと真逆だ

 

⑧企業文化について

リーダーは従業員に「こうあって欲しい」と思うような生き方をすべきである

人生でもう2度と働く必要のない人を雇う

報酬委員会がCEOの給与を制御不能にしている

 

⑨借金について

借りたお金で株を買ってはいけない

金利が低い時にお金を借りる

借金を増やすのはロシアンルーレットをするようなものである

 

ポイント!

・偏見を持たない、客観性を持つ。

・知っていることが大事。知らないことには手を出さない。

・投資は長期で会社の成長を期待するもので、投機とは違う。

・ネガティブと思われる要素にポジティブ要素があるか考えてみる。

 

ウォーレン・バフェットの社会貢献活動家(フィランソロビスト)としての活躍

ウォーレン・バフェットはフィランソロピストとして具体的にどのような活動を行なっているのか、見ていきます。

 

寄付

 

財産の99%がバークシャー株ですが、死後はスーザン・トンプソン・バフェット財団(Susan Thompson Buffett Foundation)に寄付される予定です。

2004年に亡くなった妻の個人資産であった26億ドル相当の土地はこの財団に寄付されています。

2006年6月には資産の85%にあたる374億ドルを5つの財団に寄付すると発表しました。

寄付はバークシャーのB株の形で寄付残額の5%ずつ毎年支払われることになっています。

そのうち310億ドルはビル&メリンダ・ゲイツ財団に寄付することになりました。

2010年より、ビル・ゲイツと「ギビング・プレッジ」と称する寄付推奨活動を開始しています。

 

ランチオークション

毎年、バフェットとステーキランチを食事する権利がオークションにかけられ、1億円以上で落札されています。

落札金は全額グライド財団(Glide Foundation)に寄付されています。

グライド財団はカリフォルニア州サンフランシスコを拠点としたホームレスの支援をする慈善組織でメソジスト教徒であるリジー・グライド(Lizzie Glide)とグライド教会(Glide Church)によって運営されています。

 

ポイント!

・必要のないお金は社会に全て還元しています。

・自分の財団だけではなく、他財団にも寄付を行なっています。

 

バフェットについての著書

バフェットには、投資の方法論だけでなく、人生観や仕事に対する姿勢など学べる点が多くあります。

そんな彼の人生とこれまで築き上げてきたものが詰め込まれた本を5冊紹介します。

 

マンガ ウォーレン・バフェット―世界一おもしろい投資家の、世界一儲かる成功のルール(講談社+α文庫) 2007.02.21

生い立ちから、師匠グレアムとの出会い、バークシャー・ハサウェイの経営者となった経緯など、バフェットの人生における特徴的なエピソードが章ごとに簡潔にまとめられています。

各エピソードには、バフェットの投資における成功ルールが記されています

例えば、「買うのは企業、株ではない」や「わからないことには手を出さない」などです(『マンガ ウォーレン・バフェット 世界一おもしろい投資家の、世界一儲かる成功のルール』より引用)。

一見シンプルなルールですが、言うは易く行うは難し。

バフェットは周囲がどれほど慌てていようと、このルールを堅実に守ってきました。

また本書は漫画で描かれているため、バフェットやその他の登場人物の表情や言動が見てとれるのが特徴です。

バフェットは爽やかで謙虚な人物であるため、周囲の人物からの信頼感や温かい雰囲気などが感じられます。

バフェットが成功し大富豪に至った背景には、投資に対する独自の考え方だけでなく、人生観や人格、実行力などが影響しているようです。

彼の生き方からは、投資という面だけでなく、誰しも学べることがあるはずです。

 

スノーボール(改訂新版)〔上〕 ウォーレン・バフェット伝 (日経ビジネス人文庫) 2014.06.03

バフェットが、投資という自分が得意とする領域を見つけ、全てをそこに注いできたことがわかります。

数々の実績を残し続けられたのはこの姿勢を貫き通したからであり、簡単にできることではありません。

一方、幼い頃は態度も成績も悪く、万引き等を行う非行少年であったなど、あまり知られていない部分についても書かれています。

その後、D・カーネギーの「人を動かす」を読んで少しずつ改心していったという記述もあり、なんだか私たちに近い存在のようにも感じられます。

 

バフェットからの手紙 第4版 (ウィザードブックシリーズ) 2016.08.05

本書は、ジョージワシントン大学のローレンス・カニンガム教授が、世界一の投資会社バークシャー・ハサウェイの会長であるバフェットが長年年次報告書を通して株主らに送ったメッセージを抜粋・整理したものです。

バフェットに関する本は複数出版されていますが、その中でも自身の言葉で記載されている数少ない1冊です。

市場の変動に対する心構えや企業の本質的価値の見極め、投資分野の選択などの投資哲学を、バフェット自らが説明しています。

また経営者という立場から語られている点も貴重です。

バフェットが投資をする際に重視する経営者の能力や忠実さ、経営理論といった主要なテーマから、合併・買収、企業評価・会計、税務などの話まで広がっています。

バフェットは、自社の経営に関してもこの理論を応用しているようです。

 

億万長者をめざすバフェットの銘柄選択術(日経経済新聞社)2002.05

投資で成功し続けてきたバフェットは、投資の神様として称えられています。

彼が結果を残し続けてきた理由の一つは、独自に磨き上げてきた投資理論にあると言えます。

本書は、この投資理論に焦点を当てており、10年以上も売れ続けるロングセラー本となっています。

バフェットは長期投資を好むことで知られています。

そのため、長期に渡って価値を提供し続ける企業を探し、適切なタイミングで株式を購入することが重要です。

例えば、銘柄を選択する際は、製品やサービスに際立った特長のないコモディティ型企業ではなく、独占的支配力を有する消費者独占企業の方が良いようです。

本書では、このような明確な投資方法が具体例とともに記載されています。

 

賢明なる投資家 - 割安株の見つけ方とバリュー投資を成功させる方法(ウィザードブックシリーズ) 2001.01

バフェットの株式投資の考え方に多大な影響を与えた人物がベンジャミン・グレアムです。

本書には、バフェットの師匠であるグレアムの投資理論が記されています。

バフェットが19歳だった1950年頃、当時の米国では株価の動きをチャートなどで分析するテクニカル分析が主流でした。

しかし、グレアムは企業の本質価値を見抜き、割安な株を購入すべきというバリュー投資理論を提唱しました。

その考えをまとめたものが本書です。

特に、投資で成功するために必要なことは、「意思決定のための適切かつ知的なフレームワーク」と「このフレームワークを働かせないような力から感情を一定に保つことができる能力」です。

グレアムの投資理論に感銘を受けたバフェットも、この重要な概念を本書から学び、自身の投資方法に反映しています。

 

ポイント!

・投資の神様に留まらず、素晴らしい人生観を紹介した著書が多数あります。

・人との出会いで人生を変えてきたバフェットを見ることができます。

 

バフェットから教わること

 

これまでに見て来たバフェットのキャリア、業績、哲学を踏まえ、そこから何を学べる大切なことを幾つかまとめてみました。

 

①早いうちに情熱を注げる事・ものを探す

②自己投資をする

③狭い範囲でいいので、自分が説明でき、相手の意見が正しいか分かるくらいまでに得意分野を理解する

④時代の最先端を目指して常に新しいものを取り入れるマインドセットを持つ

⑤幸せとお金は別物である

⑥常に自分の行動する理由を知っておく

⑦誠実さ、知性、行動力が何にでも必要